2025年度入試情報

伝道者の声

大住 雄一 教授

わからずやの学校

大住 雄一 教授

「わからない」ということには二種類ある。ひとつは言葉の意味や話の筋道がわからないということである。この意味で話がわからない人は、「飲み込みが悪い」としかられる。もう一つには、意味や筋道がわかったとしても、その事柄を納得できないという意味で「わからない」とつぶやいたり怒ったりすることがある。こちらの意味でわからない人は、わからないのではなく、むしろわかりたくないのであって、事柄をその人にわからせようとする周りの人たちは、このようなわかりたがらない人を「ききわけがない」と非難する。この二つの「わからなさ」は、互いに関係があって、第一の意味で「わからない」というのは、理解力がないからわからないのではなく、第二の意味で事柄が納得できないと、話の筋道も見えてこないから、第一の意味でも「わからない」という場合が多い。

ところで最近の日本の大学は、飲み込みが早くてききわけのよいひとを作ることに躍起になっている。そういう人を世間が求めており、そういう世間の要求によく答える大学に学生も集まるからである。しかし大学における学問というのは、第二の意味での「わからない」から出発する。世間で喜ばれるききわけのよさは、本来大学では美徳にならない。何でも初めからわかってしまっているなら、学問はいらない。納得できないことでも飲み込みは早いなどという人も、IT社会では歓迎されるかもしれないが、大学が目指すべき人間理解の深化には寄与しない。むしろ学問においては、疑う者こそが救われるのである。世間の利益を疑わず、それに無批判に流されていたら、本当の人間理解など生まれてこない。そういう意味では、今の大学の多くは、社会の需要に押されて、大学であることを失っているのであろう。

神学大学で行われるのは、神のことばの学問である。神のことばは信ずべきものであり、信じてみなければわからない。だから、この学問は信仰なしには成り立たない。そして、信仰において求められるものは、従順である。しかしこの神は、神だから神として信じられてきたのであって、世間の求めによく答えてくれるから信じられてきたというわけではない。この神が神であることについて、私たちがすべてを納得しているわけでもない。ただ、納得できないことを、そもそも神など信じられないということまで含めて、ほかならぬこの神にぶつけてきた信仰であり、納得できないからと言って神を見捨てることもできない、そういう従順なのである。この神に従順な人は、世間の要求には従順でありえない。「わからない」神に、神のみこころは「わけがわからない」と格闘を挑むなどという人は、世間では喜ばれない。そんなことを考えている暇があったら働けということになる。
私たち東京神学大学の前身である「東京神学社」を植村正久(1858-1925)が設立したのは、日露戦争のさなか、1904(明治37)年のことである。日露戦争については内村鑑三が非戦論を唱えたが、植村は非戦論には与しなかった。後の時代の私たちにとって、その態度は納得しにくいものである。しかしそのとき植村は、平和ということについて世間が聖書とかキリスト者に対して期待したことに沿ってものを考えようとしたのではなかった。まさにその時代に、外国の伝道団体から財政的にも神学的にも自立しようとして、東京神学社を設立し、いかなる意味においても世間に流されない神学を建て上げようとしたのである。この「自給独立」の志は、太平洋戦争後、アジアの教会とその神学の自立に影響を与えたと言われている。

その二年後、今からちょうど百年前、植村は『福音新報』にこんな発言をしている。日本は早晩キリスト教国になり、そこでは教会は必要がなくなり、かえって邪魔になるだろうと言う人がいる。しかし教会は「浮薄な社会がただ勢いに推されて形ばかりのキリスト教に流れて行くのをあるいは遮り、あるいは堰き止め、かくて邪魔になるであろう」。「教会が邪魔にならないキリスト教社会は海月(くらげ)のごとく蛞蝓(なめくじ)のごとく、否煙のごときものである」。むしろ神の国であり、イエス・キリストのいます所である教会が、骨格として柱として、社会にしっかり立たねばならないのであると。

世間は、「はなしのわかる」神を求め、「飲み込みが早くてききわけのよい」ひとを喜ぶ。最近は牧師や神学者にさえ、教会のいらない社会を目指すなどと言って、世間に歓迎されようとする人がいる。しかし私たちは、あえて、「わからない」神の前にしっかりと立って、世間に流されない教会とその神学を確立したい。「わからない」ということから逃げてはいけないのだと思う。共にその志に参与する仲間、神の前に共に立つ筋金入りの「わからずや」を求めている。