2027年度入試情報

伝道者の声

上野 峻一

献身する時

東洋英和女学院中学部・高等部 聖書科教諭
上野 峻一

本当は、献身する想いが与えられた時、それを理路整然とした言葉にすることなど不可能なのかもしれません。だからこそ、主のために自分自身を、残りの人生のすべてを献げようかと頭をよぎったなら、それが貴方の「その時」だと思います。もちろん、その通りに事が運ぶとは限りません。私自身は東神大を受験しようと考えた時から献身するまでには数年かかりました。しかし、その志が本物であるなら、まるでヨナのように、主は何が何でも貴方を用いるに違いありません。

東神大を卒業し、遣わされてから12年目を迎えました。教会で6年、学校で6年目の伝道者としての歩みです。私自身の伝道者としての日々を振り返ってみて、あの時は考えもしなかった毎日を送っています。そして、あの頃と変わらずに日々悩んで迷って祈っています。けれども、その迷いや祈りは「どのように」という方法やプロセスであって、献身者として生きることに変わりはありません。

一般大学の教育学科出身であったからでしょうか。「教会か、学校か。」入学面接で問われたことを今でも覚えています。将来、派遣される時の伝道のフィールドについて、あるいは献身の志を問われたのだと思います。私にとって伝道するフィールドは、どこであっても同じです。すべては神の御言葉のみです。しかし、そのための方法が違います。対象やニーズも違います。自分に与えられた賜物だってあるでしょう。向き不向きもあるかもしれません。それでも、本質は同じです。

主イエス・キリストは、ペトロに「人間をとる漁師にしよう」と言われました。私たちになら、主は何と言われるのでしょう。自分にしかわかりません。呼びかけてくださるのは、主イエスご自身です。だから何があっても大丈夫です。喜びも悲しみも、弱さも情けなさも、すべてがやがて「遣わされる日のために」ある主のご計画だとしたら、なんという深い恵みと導きでしょうか。

私たちの地上での生涯には限りがあります。私自身20歳で難病が見つかり、自分の命について思い巡らさなかったら、献身など考えもしませんでした。限られた時の中で、残りの人生を何のために生きますか。終わりの日、主の御前で何を語りますか。いつも喜び、祈り、感謝して主イエスを想う日々にしか、御言葉に聴き語ることにしか、今の自分はないはずです。私たちを愛し、福音を伝え、生きる意味と喜びを与えてくださった方を思い起こしながら。