2026年度入試情報

伝道者の声

上田 真由美

神の恵みの事実に圧倒されて

泉ヶ丘教会 牧師
上田 真由美

教会との出会いは、看護学校に通っていた時でした。教会はその頃住んでいた学生寮のそばにあり、私は深刻な病に襲われている方の看護、特に死の看取りに際して信仰が必要だと強く感じており、訪れました。その半年後に洗礼を授けていただいたのですが、その式の前月に、同じ看護師を目指していた親友を心の病で失ったことで洗礼の志が固まったのでした。その時のことを、当時の教会月報の『証し』の文章の中にこう書いています。「神様がイエス様とひき換えに私たちを生かして下さっている、それほどに人は神様に愛されているし人の命は尊いということをどんな状況であっても信じたいし伝えたい」。

その後、看護師になり、白血病を患う方を担当しました。死の恐れを懐き亡くなる方々を前にして、失うことなく滅びることのない神の国の希望に慰めを受けながら、この世の業を超えた神の国の業に牧師として仕えていきたいと思い定めるようになりました。プライベートも、ある時、本当に苦しい体験をした私を、主は“ここにおれ、教会で自分を取り戻せ”と教会に繋ぎ止めて下さいました。福音説教を聞き「私たちを救うために共にいて下さる神」がおられることを見、この恵みの事実に圧倒され満たされて、立ち直れていたのでした。

東京神学大学で学び教会に仕えて14年が経ちました。振り返ってまず思うことは、私も主の弟子たちと同様、主から離れ主を見捨てた信仰失格者だということです。挫折と後退を体験し、ある時は谷底まで落ちました。愚かな、惨めな姿でした。そういう救われる資格のない私を、しかし、主はご自分の命よりもこの私の救いの方が重大だとおっしゃる。おっしゃるだけでなく十字架にかかって弱り切ったお姿の主が、谷底に先に行って憐れみのまなざしで私を待っていて下さったのです。その赦され愛され繋ぎ止められる信仰体験が私をも新しく生きる者として立ち上がらせた。計り知れない恵みがこの私にも迫り満ちたから、大胆に喜びをもって、主の教会に仕えさせていただけていると思います。

惨めさは神に対する罪のため。ですから人間の中に、慰めや救いの必要でない人はいない。救いが与えられるために、過ぎ去る地上の世界だけでなく、やがて現れる天上の世界(完全な救い)へのまなざしを持って、神の国の福音(喜びの知らせ)を宣べ伝える必要があります。何度でも谷底からでも立ち上がらせ、たとえ死んでも生きる命・真の慰めが与えられるために、ただただ神の憐れみによって神様があなたを牧師・伝道者へ召しておられると思われる方は、逃げないでそれに応答されることを、切に祈り願っています。