2026年度入試情報

学長室から――召命について

 伝道者、牧師(キリスト教学校の聖書科の教員も含め)というのは、私たちが自分で選びとり、自分の才能と力を注ぎこむというような、普通の意味での「職業」ではありません。牧師の仕事というのは、神様から召され、与えられた仕事です。この、神様からの召しが不可欠というところで、一般の職業と牧師とは区別されます。
 そのような神様からの召しが自分に届いているという思いが、いわゆる「召命感」です。これは「主観的召命」とも呼ばれます。しかしそれは、自分の思い込みに過ぎないかもしれません。必要な資質が欠けているかもしれません。人間なのですから、間違えることもあります。
 そこで、「客観的召命」と呼ばれるものが大切になります。これは、召命感を裏づけるものであると言えるでしょう。例えば、召命感を持っても、東京神学大学を受験するには教会からの推薦状が必要です。さらには、入学者選抜を突破しても、学んで単位をとって卒業しなければなりません。その後も、日本基督教団の人であれば、その教師検定試験を受けることになります。こうした一連の過程を通して、召命感(主観的召命)は吟味され、客観的な裏付けを与えられて、間違いなく神から召された人、召命を受けた人として教会に受け入れられるのです。
 ですから、召命感は不可欠ですが、それだけで牧師になる(なれる)のではないのです。教会生活、また、神学校での学びと生活を経て、本当に召されているのかが問われていきます。ということは、召命を見極める機会として、神学校での学びを受け止めることもできるわけです。召されているのではないかと感じたら、その召命が本物であるかどうか、神学校に入って、確かめてみてはどうでしょうか。

(年内の〈学長室から〉は、これで終わりです。新年は1月9日からの再開を予定しています。それでは、皆さま、どうぞよいお年を。)(神代)