- 2024.09.11
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学長室から――「神学校と教会とは車の両輪」(6)
東京神学大学で聞かれる「神学校と教会とは車の両輪」という言葉に思いをめぐらせる、その6回目、最終回です。4回目と5回目で、教会において学問上の訓練を受けるというということ、つまり、教会生活を通じて健全な信仰と神学に達すること、さらに言えば、信仰と神学を「体感」・「体得」することの意義について見ました。
最後に、今度は神学校において信仰上の訓練を受けるということについて、一言しておきます。英国のメソディストの神学者であったB・E・ベックという人の書いたものを読んでいたところ、神学校というのは伝道・牧会にかかわる実践を学ぶ場であるばかりでなく、神学研究の中心であり、さらにはキリスト教的な弟子性(つまり、イエス・キリストの弟子として生きるということ)が養われる場でもあるということが書いてありました。最後のところが信仰上の訓練ということにかかわると見てよいでしょう。あるいは、神学校生活もまた、信仰と神学を「体感」・「体得」する場所であるのだと言ってもよいかもしれません。神学という学問が、単なる「三人称」のものにならないように、「二人称」の次元を絶えず、繰り返し確認する責任を神学校は持っているのです。
このようなわけで、「神学校と教会とは車の両輪」というのは、伝道者養成という目的のために、神学校と教会とが学問についても、信仰についても重要な役割を担い、協力していくということだと結論できそうです。目覚ましいと言えるような結論ではありませんが、この点が確認できて、よかったと思います。(神代)