学長室から――「神学校と教会とは車の両輪」(5)
東京神学大学で聞かれる「神学校と教会とは車の両輪」という言葉に思いをめぐらせる、その5回目となりました。初代学長の桑田先生の言葉を手がかりにして、ここまで進んできましたが、いま考えているのは、教会において学問上の訓練を受けるということであり、それは、教会生活を通じて健全な信仰と神学に達すること、さらに言えば、信仰と神学を「体感」・「体得」することなのではないかと、前回、書きました。その続きです。
信仰と神学を「体感」・「体得」することの裏返しは、観念的な、頭の中だけの信仰や神学にとどまるということでしょう。しかし、聖書の言葉も教会の教えも教会生活の中で、言い換えれば、現実とのかかわりの中で鍛えられながら、身に付いていく必要があるのです。ときに信仰に矛盾するようにさえ見える現実とのかかわりの中で考えることが大切なのです。そもそも聖書も教会の教えも、そのような中から生まれてきたものなのではないでしょうか。ですから、私たちも、同じような道を通って信仰の真理を体感・体得していてこそ、信仰を揺るがしてもおかしくない現実・事態に出会ったとしても、信仰的・神学的に対応していけるのだと思うのです。(神代)