東京神学大学

Tokyo Union Theological Seminary

東神大ニュース

伝道者の声

主が備えてくださる
大学院博士課程前期課程2年
竹澤 潤平
竹澤潤平
私の父親は牧師です。牧師家庭で育った私は、何不自由なく日曜日の礼拝に出席していました。しかし、不定休の仕事に就いて、初めて日曜日の礼拝に出席できなくなりました。そのような状況の人はたくさんいらっしゃるし、どうにか生きていけるだろうと考えていましたが、思っていた以上に日曜日の礼拝に出られないということは心身に厳しく、疲れました。そこでようやく自分がどんなに礼拝に生かされ、恵みを受けていたかに気づかされました。そして、礼拝なしでは、神様の御言葉なしでは生きていけないと思わされたのです。

ただ、それでも私は自身の状況にいっぱいいっぱいで、一信徒として献身できている気がしないままでした。悩んでいる友人がいて、この人にはこの時こそ人の言葉ではなく、神の御言葉が必要だと思わされる場面があります。それなのに、間違った事を言ってしまったらどうしようと思い、何もできませんでした。神様の御言葉を知らず知らずのうちに求めている友人がいるのに、大事な人がいるのに、私は何をしているのだろう。そのような時、ふとした会話の中である友人に「もう諦めて牧師になれば?」と言われました。ハッとしました。日曜日の礼拝に必ず出席できて、なおかつ思う存分福音を宣べ伝えることが出来る仕事といったら牧師でしょう。ただ、私が神様から呼ばれているかどうかなどはわかりません。社会人になる前にも牧師の道を真剣に考えたことがありましたので、その時から数えると試験を受けるまでに結局5年かかりました。他にも様々な事がありましたが、祈り祈られ、現在は東京神学大学で学ぶことを許されています。そして今でも全国の教会や先生や職員など、多くの方の祈りに支えられ、神学校生活を送れています。

何事にも神様が備えてくださっている時があります。私にとっては、一度社会人経験をしたことはとても良かった事だと感じています。社会人経験をしていなかったら、社会から逃げているだけではないか、という考えに捉われていたと思うからです。現在東京神学大学には19歳から85歳の様々な神学生がいます。洗礼を受けてから牧師への召命が与えられるまでの期間も様々です。その人にとって一番良い時を神様はご存知ですから、自分の想いではなく、教会を通して、聖霊を遣わして召してくださる神様の御声に聞き従いたいと思います。そして今、牧師は足りません。どうかお与えくださいと全国の教会で祈られています。私たちの祈りが神様の御心にかないますように。