東京神学大学

Tokyo Union Theological Seminary

東神大ニュース

伝道者の声

神の召しには応ぜよ
船橋教会 牧師
小林 信人
小林信人
幸せな伝道者人生を歩ませていただいていますこと、神に深く感謝いたします。

東京神学大学編入学前、私にはそれなりの人生設計がありました。伝道者として歩むという人生設計ではありません。年齢を重ねながら、おぼろげだった人生設計が徐々に明確なものとなり、その道を歩み出した矢先に、しかし、神の召しによってその私の人生設計は頓挫してしまいました。

何度も自分に問いかけました。「本当に牧師で良いのか?」本来であれば、神に対して「本当に私で良いのですか?」と問わなければならなかったのかもしれませんし、牧師で良いのかという問いかけは、全ての牧師を敵に回してしまうような問いかけだったかもしれません。もちろん現在その問いは封印しています。

なぜ神に対して、「本当に私で良いのですか?」と問わなかったのか。ひょっとすると、この問いを問わないのは傲慢だと受け取られるかも知れません。また、私のようなタイプの人間が一番問わなければならない問いだったかもしれません。なぜ問わなかったのか。それは、神が選んだのだから良いに決まっている、と受け止めたからです。ただし、牧師としての召しを終わらせることも神はなさると思っています。

この文章をお読みの方にぜひ訴えたいのは、神の召しを受けたと思ったならば、迷いなく応じてくださいと言うことです。召しを神が終わらせるまで、応じれば良いのです。とにかく、神がご決断なさって人間を伝道者へと召してくださるのですから、素直に応じれば良いのです。

聖書には、神の召しの前にジタバタした多くの人間の姿が記されています。しかし、結局皆神の召しに応じ、欠けを多々抱えつつも、神によって豊かに用いられました。迷っている人、ジタバタしている人、召しに応じましょう。人間を召した神は、その責任を全うしてくださいます。罪ある人間を愛するという責任を、御子の十字架という信じがたい方法で全うしてくださった神です。召しの責任は、私たちを召した神が、人間の祈りをも用いつつ、全うしてくださいます。

久しぶりに封印を解きます。「本当に牧師で良いのか?」――良かったよ!