神の望みがあなたのうちに
大学院博士課程前期課程2年
菊池 美穂子
「憧れならやめてほしい。」献身を考え始め、初めて出席した青年の集いでのある先生の言葉でした。伝道者として既に歩き始めておられる先生の真実の言葉だと思います。でも、その時の私には衝撃でした。憧れという気持ちで牧師になろうと思っているのならやめてほしい。憧れしかなかった私は、その言葉を聞いて、もうこの学校に来ることは無いだろうと思いつつ、東神大を後にしました。その後も、それに追い打ちをかけるようなことが次々と起こり、憧れはすっかり覚めて、献身は絶対しないと決意しました。
その固い決意の翌日、思いがけないところで「神学校に行かないの?」と聞かれました。そこで教えられたことは、献身することは世捨て人になることではないということ、それと、東神大の楽しい寮生活(避難訓練)の話でした。(今の私なら、運動会かクリスマス愛餐会の話をすることでしょう。)献身のためにもっと何か感動的な出来事があるかと思っていたのに。これが、私の献身への最後の一歩のきっかけです。
もう一つ、献身は自分と神様のことだから、しっかり祈るように言われました。その頃、教会に疲れ果てていた私は、すっかり主を見失っていました。次から次へと止むことのない人の声や出来事が、私を主から引き離そうとするのです。人のせいにして、神様と真実に向き合うことを拒否していたのかもしれません。あなたは伝道者には向いていない、あなたには無理、こんな厳しい教会の現実に耐えられるはずがない。そして、それは私の声になりました。そう! 私は牧師には向いていない。
それがはっきりわかったので、私は一歩を踏み出すことができました。「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。(フィリピ二章一三節)」私には牧師に相応しいものは何もありません。今でもやり遂げる自信は全くなく、いつでも逃げ出しそうです。でも、献身の思いは、他の誰でもない神様が起こしてくださったのだと分かったのです。この思いは決して自分で努力して獲得できるものではありません。あなたのまわりを見回してみて。同じように毎主日礼拝で御言葉を聞いていても、皆が同じように伝道者になりたいという思いを持っているとは限りません。(もっとも、受洗した人は皆、伝道に召されているはずですけど。)神様がこんな私に目を留めて、選ばれて、私の中に神様の思いが起こされているとしたら、こんなに不思議で嬉しいことはありません。献身を考えている、その思いがあったら、もうそれだけでも立派なしるしだと思います。
「憧れならやめてほしい。」これは真実の言葉です。伝道は確かに厳しいこと。十字架の道を歩まれた主の後を追っていくのですから。ただ、ここでしか得られない経験、喜びがあります。主の御言葉を楽しみに待っている人がいます。主は、収穫は多いと約束してくださっています。そして、主の弟子として走り終えたとき、主は私を食事の席に着かせて給仕してくださる。その主の食卓を楽しみに、主がストップをかけられるまで走り続けようと思います。