16歳の時、洗礼を授けてくれたR.フラック宣教師に将来、神学校へ行くことを勧められた。高校生の頃、故・松田定雄先生(当時沖縄キリスト教短大教務教師)は「キリ短」から「東神大」へ進むようにと。しかし、当時の私は、部活=命みたいなものでしたので気にも留めなかった。
CS教師などの奉仕は喜んでさせて頂いた。暫く、教会は無牧となり奉仕の範囲が広がった。牧師を迎えたころ周囲から「神学校へ行ったら?」と献身を勧められた。あまり、深く考えずに東神大を受験した。が、その時は御心ではなかったのであろう、試験途中で席を立った。そのまま帰ってしまえば良かったのに、残って面接を受けた。勿論、合格するはずがない。(恥ずかしい思い出だ。)
キリスト教主義の病院でPT・OTの助手として働いた。レクリエーションのスキルを生かして精神科、老人病棟の患者さんたちのグループワークを主とするお仕事だ。楽しい職場だった。八年ほど勤めてケースワーク部門に移ろうとその準備を始めた頃、故高崎毅志牧師(当時、美里教会)に「具志堅さんね、一年間休職して東神大に行かない?」「いや、半年でもいいよ。三ヶ月でもいい。」と言われた。三ヶ月の学び?Cコースも視野に入れていたので彼はそのようにアドバイスされたのだろう。今思うと、まるでアブラハムの執り成しの祈りのようだった。(値引き交渉的執り成し?)
サムエルだって三度、呼ばれてやっと気付く神の召し、イザヤは「はい、わたしがここにおります。」なんて自発的に手を上げているように見える。が、本当は神様に追いつめられ逃げられなくなって手を上げたんだと思う。エレミヤの言い訳「若者に過ぎません」も使えない。こりゃ、もうお手上げだ。妻には、相談ではなく報告。一歳半の長男と妻を残し、神学校に飛び込んだ。神さまと相談したから、あなたには報告でいいなんて身勝手な理屈を妻は良く受け入れたものだ。
伝道者となって16年、思うに確かに伝道・牧会は困難、「ミッション・インボッシブル」(極めて危険で難しい任務)な業だ。同時に、これほど楽しい業もない。 だから、しっかり神の指令「御言葉」に耳を傾けてこの職務を全うしたい。召してくだったお方に信頼しつつ。 「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」(ヨハネ15章16節)