東京神学大学

Tokyo Union Theological Seminary

東神大ニュース

伝道者の声

主のなさることが届く
大学院博士課程前期課程2年
家次 恵太郎
家次恵太郎
主は、皆さんが救われたその出来事を、もう一度、何度でも、この世界に引き起こさないわけがありません。そして主は、皆さんがきっとそれぞれの「あの日」に見た、伝道者の道から語っている人へと、今度はあなたを呼んでおられます。それはずっと前から用意されていた計画です。

私が召命を与えられたきっかけは、大学卒業年度の二〇一一年、別の新学校での公開講座でのことでした。旧約聖書の授業で、出エジプト記三章三、四節の「道をそれて」という言葉は、「単に山の道をそれたという意味だけでなく、確かに神様の道へとそれた、という見方ができます」と聞きました。その時、御言葉が突き刺さりました。自分にはそれた先に道があり、その道を知っているのではないかという感覚でした。また、その道というのはただ漠然としているのではなく、今まで見てきた牧師の道にのみ一致して感じられました。

当然、戸惑いました。この思いに悩み、教会の清弘牧師に話すと、「何か見えてくるかもしれない」と、高倉徳太郎の説教集の感想レポートを私が毎日送り、先生がそれにコメントを返すという提案をしていただき、始まりました。その中でキャッチボールをするように、自分が召されているかもしれない「牧師」という人の聖書の読み方や信仰を聞きました。そして、自分は伝道者の道に召されて人を通して語るイエス様に伝道されたことを思い起こしていました。教会とその牧師が遣わされていなければ、私は主を知りませんでした。神様は、人との間に人を遣わします。説教がなされます。耳にした時のその力は、人のなせるものではありません。しかし、人以外はそこにお遣わしにならないのです。祈りの日々の先に、応答へと導かれていきました。やはりそれる道がある、その道は知っている。今、行かせていただきたい。

東京神学大学への入学を決めても、学費の面で不安がありました。しかし、主はこの事を、これでもかという召命のメッセージとしてくださいました。私の叔母がこの時の三年前に自死しているのですが、その時「何か大切なことのために使ってください」と遺してくださったお金があり、それが東神大の四年間の学費とほぼ同額でした。家族にとって何の救いもないような悲しい出来事をも、神様は御手の中で取扱い、このように共に生きさせてくださることを信じました。もうこちらの決心を超えている。何の迷いもなくなりました。

召命で、それまでの人生と今回の出来事の意味も、一つに繋げられて理解できました。私は小学校4年生から病気をきっかけに学校に通えていない時期が長くありました。高校生の時、教会に毎週通い始め、清弘牧師と出会い、信仰に導かれました。病気の前に少しだけCSに通っていた時は聞く耳を持たなかったのですが、この時には打ち砕かれていたので、神様の救いの御言葉をストレートに求めました。どの局面が欠けても成り立ちません。小学校のみんなの道からそれてしまったのではなく、神様が歩ませる道があったのです。

皆さん、どうか伝道への献身の道を、祈り、イエス様に聞いてみてください。必ず応えがあります。進むために今皆さんの頭によぎる様々な壁があっても、必ず備えはあります。神様はあなたに出会い、すくうために様々な壁を壊してくださいました。その時、人を遣わされたはずです。