卒業して数年がたったある時、ふと毎日の仕事をこなすことだけに手一杯となり、時間に追われがちである自分に気づきました。自分自身の働きを顧みて、さらに主に喜ばれる働き手となるためにはどうあったら良いかを考える余力も時間も、失われつつありました。体だけは動かしながら、しかし霊的な危機に陥っていました。
率直に言って、東京神学大学の継続教育プログラムに参加することは、時間的には窮屈な面がありました。費用も工面しなければなりません。しかし、私の場合は、このための時間と費用をかけなければ、おそらく忙しさにかまけて、何もやらなかっただろうと思います。時間の使い方から言っても、費用のかけ方から言っても、継続教育に通ったことは、私にとっては、より生産的でした。教会史的興味からクラスに参加しましたが、信仰の現わし方についての自分の考えが今まで狭かったことに気づかされました。
私たちはいずれにせよ、自分に与えられた賜物でもって教会のつとめに向かわなてはなりません。与えられて持っている以上の背伸びはできません。けれども、「もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい」(第1コリント12章31節)のみことばに励まされつつ、チャンスがあれば、また教室に戻る機会を持ちたいと願っています。 |