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牧師たちの声(伝道者の喜び〜牧師たちの寄稿によるリレーエッセイ) 3・4

 

「牧師の喜び」

塚本一正牧師(信夫教会)

   10月16日(木)、教会の姉妹が96歳で逝去された。夕方知らせを受けた時、私は山形にいた。山形で刑務所教誨師の東北地区の研修会が木金二日間の予定で行われていたのである。知らせを受け、私は研修会を抜けてすぐに福島への帰路についた。牧師にはよくこのようなことがある。人間の計画の、主による変更である。
   亡くなった姉妹は、ここ約10年間寝たきりで、意思の疎通もできない状態で、施設に入居しておられた。教会員にとても愛された人で、年に1〜2度は教会の皆で施設にお訪ねしていた。しかし家族にキリスト者は彼女以外いなかった。6月に娘さんが訪ねて来られ、母逝去の際には、身内のみで、葬儀社の式場で葬儀を行い、司式だけ牧師に願いたいと申し出られた。教会の大切な姉妹であり、ぜひ教会で葬儀をしてほしいと頼んだが、ご家族の意志は固く、結局希望を受け入れるほかなかった。キリスト者の少ない我が国では、このようなこともよくあることである。
  16日(木)の夜、福島に帰り、すぐにご家族と葬儀の打ち合わせをした。翌金曜日に前夜式、土曜日に葬儀.火葬・納骨を行うこととなった。牧師館に帰り、準備にとりかかる。葬儀プログラムを作り印刷、前夜式の説教の準備、葬儀の説教の準備をしなければならない。さらに日曜日の礼拝の準備もしなければならない。このような、人間業では不可能とも思える状況に追い込まれることも牧師にはよくあることである。半ば途方に暮れながら、しかし主が導いてくださることを信じて、準備を進める。そして、実際に主の御業を目撃させていただくことになる。
   土曜日の葬儀礼拝の後、火葬場での待ち時間に、ご遺族の一人が話しかけてきた。「今回の葬儀は、ユニークだった、説得力があった、迫力があった」というようなことを繰り返し言われる。なぜ同じことを何度も言うのかと怪訝に思った。しかしそのうちに確信した。この人は、葬儀礼拝で、主の臨在に触れたのだと。御言葉が説き明かされる葬儀礼拝において、ご聖霊が働かれ、否定しようのない主の臨在がこの人を圧倒し、この人は、今どうしてよいかわからなくなっているのだと、私は確信したのである。私はその方と話しながら、「主は確かに生きておられる!主よ感謝します」と心の中で祈ったのである。
   牧師の喜びは、人間としては辛い思いや、途方に暮れる思いを度々味わいながらも、その中でたしかになされる主の御業を目撃させていただけること、しかもその主の御業のために自分が用いていただけること、そこに尽きると思う。

プロフィール
1964年   12月東京に生まれる。キリスト教とは無縁の家庭に育つ
1987年   大学卒業、就職
1990年頃  
    遠藤周作氏、三浦綾子氏の著作によりキリスト教への関心を強める
1991年   夏、生まれてはじめて主日礼拝に出席
         クリスマスに受洗(東京・高井戸教会)
1993年   仕事を退職
         東京神学大学3年次編入学
1997年   東京神学大学大学院修了
         信夫教会に赴任、現在に至る
2003年   福島刑務所教誨師となる
         飯坂教会兼務となる


「献身の喜び」  

日本基督教団 港南希望教会牧師 鈴木義嗣

1977年 5月18日  誕生
1985年 4月15日  幼児洗礼
1995年 1月 1日  信仰告白
2001年 4月 1日  東京神学大学学部3年編入学
2005年 5月 3日  准允
2007年12月 9日  受按
2008年 3月25日  結婚

  『イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、…逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。…しかし、イエスはすぐ彼らと話し始めて、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。』(マルコによる福音書6:45〜50)

  主イエスが、弟子たちの「そばを通り過ぎようとされた」とあります。この言葉は、主イエスが、神である私が共にいるということを示します。逆風に悩まされ、不安と恐れの中にある弟子たちの只中に、主イエスの方から来てくださり、共にいることを知らせてくださるのです。そして、「安心しなさい」と呼びかけてくださいます。
  私は、牧師になろうなどとはまるで思っていませんでした。私は、とても強引に牧師へと導かれたと思うのです。そして、その導きに逆らう自分の思いのゆえに多くの苦しみがありました。人によって様々だと思いますが、私の場合、牧師へと導かれる過程で、あらゆるものを捨てなければならないという痛みを経験しました。いざ献身して自分を献げるといっても、なかなか献げることができないものです。自分を献げるために、自分が評価されない経験をしました。それまでの歩み、知識や経験、性格や賜物が評価されない。そして、そこで教えられたことは、神を見なさいということでした。一人神に向かうことを教えられました。そのようにして、牧師として自分を献げる決意を強くされたと思います。主イエスは、強いて弟子たちを舟に乗せました。それは、いよいよ主を信じて生きることができるようにしてくださろうとなさっているのです。「あなたがたの歩みは、あなたがたが自分で造るものではない、そうではなくて、神の導きの中にあり、神に在って初めて評価される歩みなのだ」と。人知では図り知れない神の導きがあります。そうであるから、主の弟子は、「神の御心に従うのみ」です。私は、自分の望む道へは進めなくなりました。しかし今は、そのことが喜びです。なぜなら、今もこれからも、必ず主が導いてくださるからです。最も良い道へと導いてくださるからです。そして、思い起こさずにはおれません。私どもを導いてくださるために、主イエス御自身が、ひたすら神の御心に集中して歩んでくださいました。その歩みは、十字架への歩みでした。主イエスが、おっしゃいます。「安心しなさい」。

 

>>目次 ====

●教授たちによるリレーエッセイ

1. わからずやの学校  (大住 雄一)

2. 狭き門、広き門!(朴 憲郁)

3. 神学することはリレーに似ている
(神代真砂実)

4. どん底のデモ・シカ(芳賀力)

●牧師たちの声(伝道者の喜び

1. 献身の勧め(福島純雄)

2. 献身の勧め(松木進)

3. 牧師の喜び(塚本一正)

4. 献身の喜び(鈴木義嗣)

 

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